2010年2月11日木曜日

ふくれみかん、筑波ミカン、Citrus

     


ふくれみかん、フクレミカン、筑波ミカン、Citrus


筑波山周辺ではフクレミカン(ふくれみかん)筑波ミカン(つくばみかん)、こうじみかん、薄皮ミカン、とも呼ばれています。ふるくからこの地に伝わる特産品です。
このみかんの皮を陰干ししたものを橘皮、陳皮といい細かく刻み調理に使用したり、唐辛子とあわせたり、健康飲料にふるくから用いたられたようです。
筑波山麓では以前にはかなり太い木が多くあったそうですが、今でも庭で屋根より高くそびえる樹を時折見かけます。筑波山のふもと、石岡市小幡、十三塚の果樹園にある太い木は先祖の代からあり、樹齢二百五十年ぐらいになると家人が話されていました。小幡ではまだ太い木々があるようです。ミカンの大きさは4~5cm、皮が薄く9月~10月にかけてはとても酸味がつよい。11月頃はあまり甘くはないが口にすると香りがよく美味い。私が子供の頃は運動会の時など山に積まれて売られていました。ハトロン紙の袋に入れて客に渡していました。ふくれみかんは私たちの生活に密接に結びついていました。
柑橘類は冬季、極端な低温と乾燥に弱く、筑波山麓は生育に適している。
 この大きさくらいのみかんには小みかん、四季なりみかん等が有り、多くはフクレミカンより皮が厚くこの周辺ではあまり栽培されていない。また、フクレミカンは業者が鉢物などで栽培したとき、多く実をつけるのが難しいようです。
フクレミカンは昔、庭木として多く栽培されていたようです。私が以前聞いた話によると千葉県八日市場付近でも多く植えられていたと聞きました。また、茨城県鹿島郡、行方郡と筑波山周辺で栽培されていたようです。
このほか古代柑橘としては橘(たちばな)枳(からたち)などがあり、常陸国風土記にも橘がみえる。また、枳(からたち)は「カラタチの花がさいたよ」で有名で万葉集巻の16に「枳(からたち)の、棘原(うばら)刈り除(そ)け、倉立てむ、屎(くそ)遠くまれ、櫛造る刀自。」とある。カラタチは棘がかたく、以前は見かけたが最近は少なくなった。枳は健康な柑橘類の接ぎ木の台木として今日でも重要な存在である。台木として非常に強健なので接ぎ木後の成績が良いそうです。
■古版本 日本歳時記 貝原好古 貞亨丁卯(貞亨4)によると、
和国の風俗にて、盤上に松竹鶴亀なとを作てすへ 栗 榧(かや) 海藻 海鰕(えび)ミかん かうじ たちハな(注、橘)米 柿などつミかさねて これをなむ 歳初に 来る賀客にも是をすゝむ 是を蓬莱といふ・・・・以下省く」
蓬莱飾りは地方によっても差はあるようですが、正月のめでたい飾りとして、こうじ柑、たちばなが使われていました。
■〔橘〕タチバナ。
風土記行方郡條云、郡測居邑,橘樹生之、云々
■【補】橘ハ日本書紀垂仁天皇九〇年、命田道間守、遺常世國、令求非時香果トアル者是也、萬葉ノ歌ニ、橘ノ、下吹風ヲ、カグハシキ、筑波ノ山ヲ、戀ズアラメカモトミユレバ、筑波近郷ニ多カリシニヤ、有田橘、咬留巴(注、留巴の二字には共に口偏有り。カルバと読むか。この橘は外国産と推定)、紀伊國橘、黄橘の四種ハ、元禄中義公始テ之ヲ領邑ニ種ユル所ナリ〔桃源遺事〕
■【補】〔佛手柑〕(ぶっしゅかん)
元禄中義公始テ之ヲ領邑ニウユ〔桃源遺事〕、以下省く〔新編常陸国誌より〕 
(義公、水戸黄門は多くの動植物の育成に取り組み、ふくれみかんとは関係がないが黄門殿が元禄時代に南方の仏手柑を植えた話は面白い。 
榧(かや)の実は菜種油が出回るまでは油をとるのに使われまた、渋をとり、ナッツとして、食材にもなったようです。【参考、霞ヶ浦の自然) 
ふくれみかんと筑波山 筑波山にて  26,Jan.2010
ふくれみかんと筑波山 筑波山にて  26,Jan.2010 
ふくれみかんと筑波山 筑波山にて  26,Jan.2010
ふくれみかんと筑波山 筑波山にて  26,Jan.2010
ふくれみかんと筑波山 筑波山にて  26,Jan.2010
 ふくれみかんと筑波山 筑波山にて  26,Jan.2010
ふくれみかん・筑波ミカン
ふくれみかん・筑波ミカン
ふくれみかん・筑波ミカン
ふくれみかん・筑波ミカン
唐辛子
樹齢250年のふくれみかん 石岡市小幡にて
樹齢250年のふくれみかん 石岡市小幡にて


2010年2月10日水曜日

恋瀬川夕景・平和橋

sunset Heiwabashi Koisegawa
sunset Heiwabashi Koisegawa

霞ヶ浦と恋瀬川の夕景はとても美しい



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恋瀬川サイクリングコース終点の先浦須橋~高友橋


恋瀬川サイクリングコース終点の先、浦須橋~高友橋


恋瀬川高友橋付近の自然と歴史・丸山古墳


まだサイクリングの旅は中間地点ぐらいやっと進みましたが、ここで一度先へ進みます。実は先日、サイクリングコースで終点付近のお勧めスポットはどこでしょう?と聞かれました。八郷(やさと)は昨年「日本の里100選」に選ばれました。ことばでは表せないほどおおく良い場所が多いんです。・・・・・恋瀬川サイクリングコース終点の浦須橋(石岡市柿岡)~石岡市役所八郷支所から約300m先に恋瀬川、高友橋があります。この高友橋までむかし高浜から恋瀬川を舟が荷物を運んでいました。ここからは馬車などで上曾峠などを経由して栃木県方面などへ運んだそうです。上曾の宿には今も宿の建物が数件残されています。高友橋に戻りますが橋の上流右側に大きなエノキの木があります。この木の下には水神宮が祀られています。このエノキの木には無数の丸い宿り木が下がっています。3年ぐらい前と比べますと少し木の力が衰えたかも知れません。宿り木も少し減ったようです。高友橋を渡ってつきあたりには佐志能神社、丸山古墳があります。おおきな古墳は古いまま、周囲の堀とともに残されています。佐志能神社も舊社です。橋の写真の後にみえる森が丸山古墳の森です。
高友橋のひとつ上流の橋は百目鬼(ざわめき)橋でむかし水車小屋が両側にあったそうです。丸山古墳へサイクリングするときは、上流のざわめき橋から道路が丸山古墳方面に続いています。

恋瀬川、高友橋(石岡市柿岡(高友)
高友橋とさくら
大きな宿り木
宿り木と果実
水神宮、高友橋
夕日、筑波山、宿り木
丸山古墳、石岡市柿岡(高友)
丸山古墳へリンク(霞ヶ浦の自然)↓
http://www.kasumigaura.net/usr/mizukusa/Kasumigaura/pageo_2/A0589.html
宿り木と古典へリンク(霞ヶ浦の自然)
http://www.kasumigaura.net/usr/mizukusa/Kasumigaura/page/A0705.html
恋瀬川、高友橋(霞ヶ浦の自然)
http://www.kasumigaura.net/usr/mizukusa/Kasumigaura/page/A0706.html
百目鬼橋(霞ヶ浦の自然)
http://www.kasumigaura.net/usr/mizukusa/Kasumigaura/page/A0707.html
日本の里やさと(八郷)・石岡市)まだはじまりです。
http://yasato-ishioka.blogspot.com/


より大きな地図で 恋瀬川サイクリングコース終点付近 を表示

2010年2月9日火曜日

ゆきの日の恋瀬川サイクリングコース(常磐道)恋瀬川橋~粟田橋)

雪の日 (2,  Feb. 2010 Koisegawa)
雪の日 恋瀬川橋(常磐道)(2,  Feb. 2010 )Koisegawa
雪の日恋瀬川橋2(常磐道)(2,  Feb. 2010) Koisegawa
雪の日 恋瀬川橋3(常磐道)(2,  Feb. 2010 )Koisegawa
雪の日 石岡市方面1  ( 2,  Feb. 2010 ) Koisegawa
雪の日 石岡市方面2  (2,  Feb. 2010)  Koisegawa
 サイクリングコース 石岡市染谷付近  (2,  Feb. 2010 )
 サイクリングコース2 石岡市染谷付近  (2,  Feb. 2010) 
 サイクリングコース3 石岡市染谷付近  (2,  Feb. 2010 )
加波山方面の景観 石岡市染谷付近  (2,  Feb. 2010)
 サイクリングコース4 石岡市染谷付近  (2,  Feb. 2010 )
 サイクリングコース5 石岡市染谷付近  (2,  Feb. 2010) 

雪の日の恋瀬川サイクリングコース

前夜雪が降ったが解けるのも早かった。山々の峰はうっすらと白かった。サイクリングコースはこの日、とても寒かった。




より大きな地図で 茨城県石岡市染谷 を表示

2010年2月8日月曜日

恋瀬川サイクリングコース府中橋~粟田橋~ごりんどう橋2


恋瀬川と竜神山 02 Dec. 2009
恋瀬川サイクリングコースと竜神山 02 Dec. 2009
恋瀬川の自然 02 Dec. 2009
恋瀬川の自然2 02 Dec. 2009
恋瀬川の自然3 02 Dec. 2009
恋瀬川の自然4 02 Dec. 2009
恋瀬川の自然5 02 Dec. 2009
恋瀬川の自然6 02 Dec. 2009
恋瀬川サイクリングコース 02 Dec. 2009
恋瀬川上空の鳥  02 Dec. 2009

この付近は川面の見える場所は少ない。川の周囲には大きな柳の木があった。かわせみが低く飛んでいた。竜神山には佐志能神社が祀られていて春には里神楽「染谷の十二座神楽」が行われる。祀られている竜神は古くから雨乞いの神としてこの地方一帯の人びとの信仰が厚かった。